その132 身体技術上達試論⑦

剣道スタイル変容の転機

 わたしは36歳まで、兵庫県警察でいわゆる「特練」、剣道特別訓練員として選手生活を送っておりました。
 その時代も頭の中では、「———————」のように木目細かく、スローモーション映画のような動きをなぞることによって精緻な技のつくり上げができる、ということは理屈としてわかっていました。
 しかし、このような上達論を践み行うことと、目前にある試合に勝つための効果発揮にはタイムラグが生じることがわかっていましたので、取り敢えずは、勝負に間に合わせる技のつくり上げを行っていました。
 修錬を重ねるごとに徐々に動きの修正を加えてきましたが、基本的には高校生時代の剣道スタイルの延長線上にあったといって過言ではありません。

 昭和58年(1983)秋の全国警察大会を最後に選手を退き、そこから剣道スタイルの本格的な修正に取り組みました。
 技のつくり上げを、太極拳の動きのごとく木目細かい粒子をイメージして空間打突の修錬を心掛けました。
 しかし、スピードと強さをもっぱらとしていた今までと引き比べ、余りにも無味乾燥で、なかなかそれらしいカタチが身につきません。
 今までは、床を踏むトンという響き、竹刀を振るピューという鳴りとともにあったシャキッとしたわが剣道であったのが、えたいの知れない世界にまぎれ込み闇雲に空を泳がされているような腰の決まらぬ日々が続きます。
空間で行うゆっくりとした打突練習がこれほど難しいものとは思いませんでした。
 翌年、昭和59年の春、警察大学校の術科指導者養成科に入校してからは、放課後、本格的にひとり稽古に取り組みました。
 その警察大学校の図書館で見つけたのが「中井正一著『美学入門』(潮日選書)」です。そして「4.技術の美について」で述べらている下記の一文が自分の修業観を大きく変えました。
 空間打突に喘いでいた自分が一筋の光明を見いだした一文です。
               *
 例えば、水泳のとき、クロールの練習をするために、写真でフォームの型を何百枚見てもわかりっこないのである。長い練習のうちに、ある日、何か、水に身をまかしたような、楽に浮いているようなこころもちで、泳いでいることに気づくのである。
 その調子で泳いでいきながら、だんだん楽な快い、すらっとしたこころもちが湧いてきた時、フォームがわかったのである。初めて、グッタリと水に身をまかせたようなこころもち、何ともいえない楽な、楽しいこころもちになった時、それが美しいこころもち、美感にほかならない。自分の肉体が、一つのあるべき法則、一つの形式、型を探りあてたのである。自分のあるべきほんとうの姿にめぐりあったのである。このめぐりあったただ一つの証拠は、それが楽しいということである。しかもそれが、事実、泳いでいて速いことにもなるのである。無理な力みや見てくれや小理屈を捨て去って、水と人間が、生でぶつかって、微妙な、ゆるがすことのできない、法則にまで、探りあてた時に、肉体は、じかに、小理屈ぬきに、その法則のもつ隅々までの数学を、一瞬間で計算しつくして、その法則のもつ構成のすばらしさを、筋肉全体で味わうのである。音楽は耳を通して、肉体に伝えるのであるが、この場合は、指先から足までの全体の動きで、全身が響きあっているのである。これがわかったとき、これまでの自分は、他人みたいなものなのである。自分が本当の自分にめぐりあうと、そうなってくるのである。
               *
 この一文は、剣談「その三十二 剣道とは、なにか②」(平成24年8月4日)ですでに紹介しておりますが、このときは「人間形成」に焦点を当て述べています。

 わたしはこの一文に接し大いに啓発を受けました。
 爾後、無味乾燥であった空間打突が、『美学入門』「技術の美について」の一文を呪文のごとく唱えて行えば、目的意識が定まり、今までわだかまっていた倦怠感がすっかり鳴りを潜めました。
つづく
頓真

一覧へ戻る